「傍目八目」
自分ではかえって気づきにくいことを意味する言葉。
そして「言葉」、「言語」はわっちら人間が生きていく中で欠かせない存在です。
もしこれがなくなってしまったら生活なんて到底営んでいくことは難しくなるでしょうね。
ではではそんな身近だからこそ難しい
「言語」
について書いていこうとおもいます・・・!
身近なものは、少し離れた視点でみると意外に面白く、新鮮なものです。
目次
言語の目的
言語そのものについて触れる前に、言語の目的について書いていきましょう。
まぁ私たちが言語、言葉を使うのは、主に意思伝達や情報伝達のためですね。
簡単に言えば、「会話」「コミュニケーション」です。
しかしこの意思伝達や情報伝達は「言葉、言語」のみによるものなのでしょうか・・・?
確かに言語はコミュニケーションのために使えるものですが、それ以外の要素もコミュニケーションに利用されることが多いです。
例えば、身振り、表情、服装、雰囲気、匂い。
意識的、はたまた無意識的に、こうしたものからも私たちは情報を得ることができます・・・!
もっと極端な例を挙げるなら、こんなものはどうでしょう。
私が廊下を歩いていると、紙が丸められて落ちている・・・。なんだろう。
私はそれを拾い、中を確認することなくゴミ箱に捨てる。
これは一見、至って自然でなんら特別なことが起こっていないように見える。
さてここで、「コミュニケーション」という観点で見てみよう。
そもそも私が紙をゴミ箱に捨てたのは、紙をゴミ箱にすてようと思ったからです。ということはそういう風に私が思う原因があったということになります。
ならば落ちている丸められた紙から、この紙をゴミ箱に捨てるという情報に受け取ったという見方もできるのではないでしょう。コミュニケーション相手が生き物でなくとも、ある環境自体がある人に対して、「コミュニケーション」を行うということもあり得るのではと、私がふと思ったことです。
閑話休題。
様々なモノから私たちはコミュニケーションを行うということを書いていきました。そして「言語」というものはその中でも特別なモノなのです。
言語とは
言語とは何か?
ソシュールという人の言葉を借りるなら、「記号の体系」のことです。
でも記号って何でしょう。
これは、例えば
「§」や「±」、「Ξ」、「△」のようなものではなく、
もっと広い意味を持ったものです。
記号とは何かを指し示している代用物。のこと!
広い意味の「記号」を挙げるなら、と思ったのですがあまりにも多すぎますね。なぜなら人間の身の回りの全てのものは「記号」になりうるのです。
今思いつくもの、まぁ周りに沢山あるのですけど・・・、
最近だと「タピオカ」でしょうか?もう古いかもしれませんが。
「タピオカ」=「なんとなくインスタ映えしそうなもの」という印象を多くの人が持っているのではないでしょうか?
さきほど、記号は代用物だと書きました。
この「タピオカ」は「なんとなくインスタ映えしそうなもの」を代用している「記号」だと考えることもできるでしょう。
言語記号
言語の中では記号の中の「言語記号」が重要になってきます。
先ほど言語は「記号の体系」と言いました。
言語ではこの「言語記号」が体系的に並べられることで意味を持つようになります。
そしてこの並べる際に必要な体系が「文法」と呼ばれるものでしょう。
外国語を勉強するときには必ず学習しなければならないものです。
もし
「外国語を勉強するときには必ず学習しなければならないものです。」を体系を気にせず、てきとうに並べると、
「を勉強する外国語にはとき学習必ずならないしなければですもの。」まったく意味を解せなくなってしまいます・・・。
一つの記号が意味を持っていても、体系が整っていなければ「言語」は成り立ちえないのですね。
まさに
言語は「記号の体系」です!
言語の特徴
人間が使う言語には大きくこのような特徴があります。
- 二十分節性
- 恣意性
二十分節性
これは言語を二段階で分けて、分析することができるというもの。
まず文は語に、そして語は音に。という具合です。
彼女は雨の日に散歩をする。
これを「語」に分けると、『彼女 は 雨 の 日 に 散歩 する』 という風に分けることができます。
そしてこの「語のまとまり」は、
『k-a-n-j-o w-a a-m-e n-o h-i n-i s-a-n-p-o s-u-r-u』という音のまとまりに分けられる。
つまるところ、「彼女は雨の日に散歩をする。」は八つの単語と二十五の音から出来ていることになります。
この二十分節性があることによって、音は少ない種類で事足りるし、意味のまとまりは音の組み合わせで非常に多くの組み合わせを作ることが可能です。
恣意性
これは簡単に言えば、語の形と意味には必然的な関連性は無いということ。
例えば「しんせい」という音をもつ言葉は申請、新生、親政、神聖、心性、真正、新星、と一つではありません。「しんせい」と言っても状況によって意味が変わるのです。
いや「変わる」というよりかは「変わると思っている」に近いでしょう。記号事態に意味があるわけではありません。人間が都合のいい様にその記号に意味付けをしているのです。
これが「恣意性」です。
まとめ
この記事では言語や記号、言語の仕組みについて書いていきました。
普段からなかなか意識しないからこそ、普段とは違った視点でとらえてみるとまた興味深いものがありますね・・・!