目次
言葉は必要?
「星の王子さま」
という本の中にこんなことがかいてありました。
言葉は誤解のもとさ・・・と
そして最近読んだゴリラに関する本の中でも、言葉の利便性を代償にした不便な部分についても考えるようなことが書いてありました。
サッカーは十一人、ラグビーは十五人でチームを作りますね。選手たちは毎日顔を合わせ、共に練習をするうちに、互いの性格や癖を熟知していきます。すると仲間が何を考え、どうしたいのかが自然に読み取れるようになってきます。
(2014)、言語の創生と社会脳の発達、山極寿一、「サル化」する人間社会、集英社インターナショナル、p144
このように人間でも言葉を介さずにコミュニケーションを取ることが可能です。
例えば家族がその最たる例でしょう。
わざわざ何も言わなくても、なんとなく相手の言わんとしていることがあるという経験は私にもあります。
なぜ誤解を生むのか?
次に「言葉」の短所について書いていきましょう。
今考えつくものは、
- 習得に時間がかかる
- 地域特有の文化や地理、歴史、政治に影響を受けやすく、地域間の差が大きい
- 伝えたい情報すべてを伝えられるわけではない。なぜかというと「言葉」はあくまで媒介手段つまりメディアと同様のものなので、情報を「言葉」に変化する時に、何かしらの誤差が生まれる可能性があるから。
- 直接的なコミュニケーションではない
くらいでしょうか。
話をまとめるのが少し難しくなってきたので、自分の思いついたこと書きます。
内的な言葉
言葉の一つの側面、内的な部分を見ていきましょう。
具体的に言えば考える時に使うものとしての言葉です。
言葉は基本的にコミュニケーションの手段という面が強調されることが多いですが、この側面も無視することは出来ません。
独り言、はその最たる例でしょう。
友達がいない人は、よくそうしますよね。頭の中で言葉を使うイメージです。
例を挙げるなら、比企谷八幡くん。
人間の基礎体温は三六度程度。気温にすれば真夏日どころか猛暑日である。さしもの俺とてそんな高温多湿に耐えられるはずがない。
猫なんかもそうだろう。暑いと人気のないところへ行くものだ。俺もまた純然たる暑さ対策のために人気のないところを目指した。いや、別にクラスに場所がないとか居心地悪いとかでは決してない。
(2011年)、プロローグ、渡航、『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』、株式会社小学館
ライトノベル「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」では、主人公、比企谷八幡の語り改め、「独り言」が非常に多い。
当の比企谷八幡という人物はいわゆる「ぼっち」である。ぼっちぼちの「ぼっち」である。
あぁ・・・仲間がここにいたぁ(二ヤァ・・・)
(※だから友達が出来ないんですね。)
そんな「ぼっち」だからといって、言葉を使わないわけではない。むしろコミュニケーションとして言葉を使う人と同じくらい言葉を使うのである。
もしかしたら、ぼっちの人の方が言葉を使っているかもしれない。
これが内的な言葉の例である。
私もよくこの「内的な言葉」をよく使っている。
- 今日はよく雨が降っているなぁとか。
- 冷やし中華って温めたら、「何」中華なんだ?とか。
- 松岡禎丞さんと茅野愛衣さん、もう結婚して・・・!
とか。
言葉とは、こういうくだらないことにも使うものなのである。
外的な言葉
何を隠そう、
コミュニケーションの為の言葉である。
言葉は非常に便利で経済的です。目の前で起きている複雑な現象も言葉に移し替えればある程度までは正確には描写し、人に伝えることができます。言葉が生まれたのは自分の知らない経験を他人に伝えたり、また自分の知らないことを誰かから伝わったりする必要性が出てきたときでしょう。それは行動半径が広くなったとか、付き合う範囲が広くなった時代と思われます。
(2014)、言葉とは何か、山極寿一、「サル化」する人間社会、集英社インターナショナル、p150
このコミュニケーション手段としての言葉がなければ、生活を築いていくことは非常に難しくなりますね。
今の時代は、初対面の人と関り合う機会が非常に多い。インターネットというものもそれをどんどん加速させている。
特定の家族や共同体というまとまりで暮らすことだけではないので、より一層このコミュニケーションとしての言葉が必要になってきます。
まぁこんな風に言葉には二種類の働きがあります。(おそらく)
沈黙は金である
いきつくところ、言葉は欺くものである、ということです。言葉だけを操る哲学者は、詐欺師同然に思われたとて、何の不足があるかということになります。言葉は空しい、これを別様に言えば、沈黙は金、ということです。
(1992)、沈黙は金である、鷲田小彌太、「哲学が分かる辞典」、日本実業出版社、p322
哲学の本をチラとみると、こんなことが書いてありました。
私としては、言葉は便利やろ・・・と思っているので、こうも言葉は空しい、欺くものだと書いてあると、少し悲しくなってしまいます。
一つ意見をいうなら、こうした高尚?なことを考えるためにも、「言葉」が必要です。言葉が無ければ、そもそもこうした考えを思いつくこともありません。
「言葉が空しい」という考え自体が、言葉というルールの中で展開されている。う~ん。どうやら人間は言葉から簡単には逃れられそうになさそうだ・・・。
大切なものは目に見えない?

rkarkowski / Pixabay
星の王子さま、という本にはこのような言葉がありますよね。
言葉は誤解のもとさ、という言葉も「星の王子さま」の中にあります。
しばらく考えているうちに、言葉に不便な面て無いんじゃないかと思ってきました。第一、言葉を使わずにコミュニケーションをするという状況自体なかなかありませんし、そういった意味でも言葉が不便だとは思いません。
言葉ってめちゃくちゃ便利でしょうよ!!!!
アベンジャーズ:エンドゲームを見た方なら分かると思いますが、
トニーが、最期に「ディシメーション(指パッチン)」をするとき、
「私はアイアンマンだ」
と言いましたよね・・・。
もしこの時に何も言わなかったら、言わない時よりも感動しなかったなぁって思います!絶対あった方がいいですよ。
言葉は、全然空しくないと私は思います!
とタイトルとは真反対の結論に至ったという次第です。
まとめ
結局、星の王子さまに書いてあった「言葉は誤解の元さ」という表現の意味は理解できませんでした。うーん。
あなたはどう考えるでしょうか?
言葉そのものの不自由さを嘆いた表現なのか・・・
それとも、言葉を使う「人間」に対して何かを訴えている表現なのか・・・
いやぁ。すぐには答えが出ないと思うのでまたしばらく考えなければいけませんね・・・。