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観光史:西洋近代・日本近代まとめ

 

 

観光史

 

グランドツアー

グランドツアーは、現在の観光の特徴とは大きく類似している部分が少ない。観光主体が一部の貴族であること、費用が高額であること、目的も社会的な立場や要請に負うものが多く、教養を深めるためのグランドツアーという側面が強い。

しかし、現在の観光公害の様な行動が見受けられなかったわけでは無い。目的地に住む人々にとっては、そのような見方をするのも不自然ではないような行動が確かに存在した。

また、このグランドツアーは「ロマン主義」への影響の様に、文化や歴史へのインパクトを与える役割を担っている。

20字でまとめると・・・

グランドツアーは

高額少人数の教養修行。

 

参考の為に少し引用。

なぜイタリアかというと、ギリシア・ラテン精神の源流としてのイタリア、芸術の国イタリアは、教養の確立という旅の目的に合致していたからです。

この時代、ヨーロッパの知識層にとって、みずからの見聞を広めるためのイタリアへの教養旅行というのは、ほとんど常識であったと言えるでしょう。

奥野佐矢子、2015、「3教育学から―旅するスタイルの変遷と自己」、『旅する』、桐生裕子編、世界思想社、98

 

トマス・クック

トマス・クックの取り組みは、「観光」の産業化に多大な影響を与えた。しかし彼の取り組みのみによるものではなく、産業革命や交通革命、工場法の制定などの諸所の背景が存在したことも要因の一つと言える。

取り組みの一貫として、団体割引旅行の実施などがあり、この時点では利益の追求というよりも、純粋に「人々の飲酒に変わる余暇の過ごし方の形成や人々の享楽の為」という印象が強い。

結果として、人々(特に労働者階級)の行動範囲の増大や旅行の産業化、旅行の合理化などにつながり、今日の旅行業、観光産業の形成の原型を築いたと言える。

20字でまとめると・・・

観光産業の基が完了。

クックの寛弘の下。

 

日本近世

西洋近代と同様、観光業・旅行業の形成は「道」や「交通」が深くかかわっている。特に伊勢参りは、観光を推し進めた要因であると言える。またここでもダイナミックな動きとしての観光の主体は、「庶民」つまり貴族などの階級が上の人々でなく、一般の人々である。

また伊勢参りの様な参詣を支えた制度も数多くある。「御師」や「講」である。クックやクック社のように観光情報の提供なども御師が行っていた。その際に役立ったものが、道中記や名所図会、東海道中膝栗毛の様な「文学作品」である。

20字でまとめると・・・

 

道やお参り、

メディアが進めた日本の旅。

 

開国

江戸時代には、確かにダイナミックな日本参詣の動きが見受けられるが、それが「日本」における観光業や旅行業の本格的な形成につながったわけではない。

おそらく日本近代にそのような動きが起こったと考えるのがより自然であろう。この時代には、

  • 日米和親条約(1854年)
  • 日米修好通商条約(1857年)
  • 外国人内地旅行允準条例(1874年)
  • 内地雑居(1899年)

のように、外国人の日本国内における遊歩の規制が緩和されていくような決まりが成立していく。

ちなみに、日米和親条約は外国人の遊歩を禁ずるものではなく、制限付きではあるが遊歩を許可しているものである・・・!

 

  • 喜賓会とJapan Tourisit Bureauの違い

喜賓会に比べて、Japan Tourist Bureauは、海外の人々を積極的に誘致する意図がある。

貿易の発達を助成する、という点では共通している。

 

 

JTBと国際観光局

1930年の国際観光局設立の動きと、2008年の観光庁設置の動きは、

1893年の喜賓会の設立、1912年のJapan Tourist Bureau設立の動きと似ている。

国家事業、利益獲得の手段としての側面が(貿易赤字の是正の為に)強くなり、本格的に「観光産業」として確立する。

20字でまとめると・・・

「旅」から「観光」。

利潤追求の「進行」。

 

日本の近代化①

いよいよ「観光産業」を国家事業として推し進める日本の姿が現れる。戦時中の観光客の減少と、増加を繰り返しつつ、大日本帝国の勢力は拡大し日本人の行動範囲の拡大にもつなっていく。

また戦時下では、ジャパンツーリストビューローの名前の変更など「旅行」に対する制限が見受けられるものの、聖地巡礼やハイキングなどの「移動」は許容されており国民の行動が完全に不自由になっていたわけでは無い。

ホテルの動きとして、居留地や開港場、外国人の遊歩の訪問先にはホテルの建設が進められる。またこのホテルも、国威発揚に利用されていたりする。

20字でまとめると・・・

外国人と日本人の

「観光」行動の始まり。

 

日本の近代化②

戦後、日本の領域でった外地に建設されたホテルは再利用される。また1964年には海外旅行の自由化がなされ、その後の観光行動の活発化につながる。

「東京オリンピック」や「万国博覧会(大阪万博)」、「ディスカバー・ジャパン・キャンペーン」、「アンノン族による旅」など日本における観光産業や人の移動自体が非常に盛んになる。

1985年のプラザ合意によって、ドル安になると海外旅行への敷居が低くなり、アウトバウンドの数が増大、しかし2003年「SARS(重症急性呼吸器症候群)」の発生によりアウトバウンドの規模が一時的に減少する。

ポイント

東京Olympicは、外客が中心

万国博覧会は日本人客が中心

20字でまとめると・・・

観光産業の本格化と

アウトバウンドの増大。

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