今回は、
「読みたいことを書けばいい。」
の書評を
書きません!!!
えぇ。書きませんとも・・・!
この本の初版は2019年のぉ、6月12日ぃ・・。
ネット上には、この本の書評などくそっ程、転がっているいる!
第一、この本を読み、まず書評を書いた時点で、私はもう馬鹿である。有象無象である。(あくまで過程の話だがね)
ならば、私が気になったところと、勝手に思うことを書けばいいのだぇあ!
私が面白いと思うことを、書く!
読みたいことを、書けばよいのだ。
この本のタイトルには、そう書いているだろ?
コロニアル・ラグァぁあぁ!!!(関係ない)
目次
書いた人とこんな感じ
知らん。
ネットでもなんでもミルが良い。
本を読めばわかること、買えばよろしいの。
あと
字が大っっきい。って感じである。
まぁせめて、概要だけでも140字でまとめておこう。
概要
「書く」とはどういうことか。この本は、文章術やテクニックを学ぶためのものではない。
なぜ書くのか?何を書くのか?どう書くのか?田中泰延氏なりの、しかし大きく意味のある「書き手」の在り方を説いている一冊。ここで何を得るか?それは「書く」こと、そのものを考えることにつながることだろう。
思ったこと
ゴリラ
まず、いきなりゴリラである。詳しくは本を読んでくれ。
最近は、そういえばゴリラに関する本を読んだ。
ゴリラか?と聞かれたときは、これは私が単純に生物学的にゴリラに分類されているのか、そうではなく
ゴリラの持つ寛大さ、彼らの格差の無い寛容な社会、
それらをもはや持ち合わせていない、まるでサァル!ごとき人間を皮肉っているようにも聞こえた・・・!
あぁ本の読み過ぎはいけない。
ゴリラか、そうでないかだけの質問に、私は他者の考えをこれほど持ち出し、他者の思考方法に乗っ取られてしまった!
ショーペンハウアーのい・う・と・お・り、っってか!?
先駆的決意性
そうか。
どこかで、私は誰かに認められたかったのかもしれない。
すげえや。アブラハム・マズローさん。
人間は、だれしも承認欲求を持っているのかもしれない。いや、「かもしれない」じゃないな。持ってるな。
でも何故人は、誰かに認められたいのか?
色々意見はある。
先駆的決意性。言葉の能力の存在。
死ぬのが怖いってのは、それはつまり自分自身の「非在」を怖がっているのだ。
自分が誰からも忘れられてしまうから、それは最大の「自身の喪失」さ。
みんなご存じ、ハイデガー。(知らねえよ・・・)
彼の先駆的決意性はとても役に立つ。しかしそれは、確か自分の「非在」「喪失」を受け入れることになる。
自分の「死」を思いみることが出来てしまうのは、確かに現在をより良いものにするのに有用だあが・・・、それは同時に人間の「認められたい」という欲求を増長させているにほかならないのではないか?
ならば、人の存在性質そのものが、承認欲求というものを内包しているのではないか。
そうじゃないのか・・・!?
そういえば、人間が「死」を思うことができるのは、「言葉」の発達が関係しているそうだ。
私が思うに、(もしかしたら誰かが既に考えているかもしれないが!)
未来という考えを可能にする文法の複雑な諸装置の一つが、今ここにあり得ない「死」というものを案ずることを可能にしているのだろうね。
未来もとどのつまり、「未だ来ず」の世界、蓋然的世界を指す表現。ゆえにあり得ない「死」もその蓋然性には変わりないのだから、人間は先駆的決意を行うことができるのだと私は思う。
あぁ。今この他にこんなことを考えているひとがいるのだろうか・・・。
もはや私の文章は、勉強しないことがスタンダードな日本の大学生のそれでない。きっと彼らとは仲良くすることは出来ないな。(多分)
閑話休題
そうだ。この本を書いた人は
お世辞にも全然興味のわかない、あらすじを書いていた・・・。
では
私も書いてみよう。さぁ、どうだ。読む気がどんどん失せてくだろ!
・
・
さて、今日から君はこのラングドレア・ビールの一員さ。
おっと、気を付けてくれ・・・!この西新南には、少しおいたがすぎる貴族、メイク・ファン氏が住んでいる。
噂では彼は、下弦の月が出ている時の、それも特に赤ん坊が泣いている間に、カーニヴァル的な行動を繰り返しているらしい。
とここまで頭を悩ませて書いてみたものの、適当な文章がこんなにも書くのが煩わしいなんて思わなんだ・・・。
あと短い。
少々著書から引用を
さてさてさ~て(メリオダス風)
冒頭の冒頭で、書評は書かないと言ってしまったが
少しは、書評らしいこともしておかなくては・・・。
ところが、それはかなりトンチキな思い違いだ。コンチキ号はノルウェーの人類学者トール・ヘイタダールが作った筏の船だが、いまこの話には関係ない。
(田中泰延、2019、221)
前述のようなどうしようもない文章を書いているが、これでも大学生である。引用の文献を記すくらいはしっかりやっておきたいね。
さて引用を見てみよう!と言っても・・・・
特段これを読んだところで、この本についてよく知ることができるというわけではない。
面白いと感じたから、引用しただけである。
是非このような文章の書き方は模倣してみたい。(というか盗む。)
少なくとも、分かってほしいことは、この本の著者は(私にとっては)読んでいる時に、笑みを零さずにはいられないほどには、飽きさせない文章を書いているということだ。
そこら辺の「文章術」みたいな本よりかは、読んでて楽しい。
まとめ
どうだい。
私は、この本を読んだときに、いつも通り書評を書くのが、少しあほらしく思えた。
だからタイトルも「書評?」としているのである。だからタイトル詐欺ではない。な~い・・・!
文章を書くということ。それはまずこの本を読んでみてからだ。情報というのは、実は無料ではない。
私がこの本を読めるのは、お金を払っているからだ。両親に感謝である!
少なくとも、私がこの本を読んで感じ取ったことの欠片は感じ取ってもらえ・・・・ないかもしれない。
いや、もしかしたら読み取れるかもしれない。
試しに他の私の他の書評の記事を見てみるといい。テイストが違いすぎて、私がまるで二重人格であるかのように思われるだろう!
引用文献:田中泰延、2019、「なぜ書くのか その1」、『読みたいことを書けばいいー人生が変わるシンプルな文章術』、今野良介編、ダイヤモンド社、221