(2015)、堀越耕平、『僕のヒーローアカデミア(My Hero Academia)』、集英社
ヒーローになりたい
小さい子供たちの中にはそう願っている人が多い。気がする。
女子だろうが、男子だろうが関係ない。
もちろん私も例外じゃない。
人々の自由を守るためにたたかう彼らは確かに私たちの憧れにちがいなかった。
目次
ヒーロー
ヒーローとは何だろう?
小さいころはともかくもヒーローになりたいとばかり思っていたから、そういった疑問を抱くことはなかった。
だから改めてヒーローとは何だろうか?
ヒーロー、英雄と呼ばれるものは数多く存在する。
ウルトラマン
仮面ライダー
プリキュア
スーパー戦隊
他にもいろいろ・・・。
ヒーローには色んな形がある。
私が思うに、ヒーローは少しだけ長く勇敢でいられる人のことをいうのだと思う。
ヒーローだって怖いものは怖い。
ヒーローだった痛いものはイタイ。
ヒーローだって悲しいものは悲しい。
ヒーローだって辛いものはつらい。
フツーの人たちと確かに共通している部分がある。
利己?
(2015)、堀越耕平、『僕のヒーローアカデミア(My Hero Academia)』、集英社
人を助けたいというのは、つまりどういうことだろう?。
私たちが人を助けたいと思うことは、何故だろうか?
人というものは、なかなかどうして結局自分のことが大事だ。
自分でもよーく分かっている。
でもヒーローは考えるよりも先に、人のために行動するというとよくいわれる。
そこにあるのは一体なんだろう?
それはイドか、自我か、超自我か?
考えるより前ということは、それは無意識のレベルで「人を助けたい」というのだろうか・・・。
と、いろいろ考えてみると
「人を助けたい」という思いは、利他的なものではないんじゃないか?と思うようになってきた。
「人を助けたい」という思いは、最終的に他者に益する行動を意味しているのではなく、
純粋に助け「たい」という願望。
人を積極的に助けるという極めて利己的な行動ではないだろうか。
つまり
ある視点から見れば利他的で、ある視点から見ると利己的にも見える。ということだ。
ヒーローになるために
残念ながら、現実世界では超人的なパワーや、超能力を得ることは限りなく不可能に近い・・・。
ほんとに残念。
メタモルフォーゼも、変身も、ゴーカイチェンジも、蒸着も出来なければ、
ワンフォーオールを継承できることは無いし、ムジョルニアを持ち上げることも無い。
しかし
ヒーローになることは不可能ではない。
誰かを助ける仕事は無数ではないが、確かに存在する。
仕事でなくとも、誰かを助けることはできる。
だからと言って、命を助けることが必須というわけではない。
wikipediaに載っているようなありきたりな「ヒーロー」になる必要は無い。
ヒーローは誰にでもなれる可能性がある。
しかしそれは簡単なことじゃない。
だれかがやってくれる、誰かがなんとかしてくれる、自分がいなくてもきっと・・・
そんなときに行動できるならその人はヒーローと言っても良いと私は思う。
ダサい
いつまでも、いつまでも
ヒーローになりたいと思っていることは「ダサい」と思う人もいるだろう。
確かにそれは間違ってはいない。
そんなこと考えている場合じゃない!
無駄なんだよ、無駄・・・!
いつまでも夢語りばっかするなよ・・・
理想論ばっか言って何が楽しいんだ?
それでも構わない
ヒーローをかっこいいと思うのは、必ずしも義務ではない。
ヒーローになることは義務からは真反対にあるものにあるものだ。
まずそんなことを考えている人も、本当に少数だ。
ヒーローはダサい。
ヒーローになろうとすることはただの現実逃避。
娯楽もほどほどにな・・・。
間違っていない。
でもヒーローはカッコいい。
安心
人間ってのは「安心」をしたがる生き物だ。
ご飯を食べるのも。
誰かに好かれようとするのも。
家に住むのも。
友人を作るのも。
恋人を作るのも。
結婚をするのも。
家族を作るのも。
家庭を築くのも。
言い訳をするのも。
勉強をするのも。
自分探しをするのも。
一人でいるのが怖いのも。
大学に入るのも。
徒党を組むのも。
悪口を言うのも。
布団から出たくないのも。
家に帰るのも。
仕事に就くのも。
テストで良い点数を取るのも。
他人より優越しようと思うのも。
怒られないようにするのも。
誰かと話すのも。
ご飯を誰かと一緒に食べるのも。
思い出を残すのも。
成功したいと思うことも。
甘えるのも。
人間の行動のほぼすべてが「安心」をするために成されるといっても良い。
しかし
「人を助ける」という行動は「安心」への願望から来るものなのか?
確かに人を助けることが成功すれば、「安心」はするだろう。
だが、「人を助ける」という行為は不確定要素が付きまとう場合がある。上に挙げた行動の数々と比べれば、その可能性が高い。
失敗してしまう場合もある。
そこに「安心」は・・・無い。
ということは、「人を助ける」行動が安心を希求することから起こる行動であると断定することは難しい。
かならず「安心」を得られるわけではないしね。
ヒーローになりたい
正義の味方になりたいというわけではない。
正義の味方ということは、悪と対峙するということだ。
それは誰かを犠牲にして、誰かを救うということだ。
正義の味方ではなく、ヒーローに私はなりたい。
ヒーローはただ純粋に誰かを助ける存在であると私は思っている。
誰かを倒すなんておいそれとできることではないし、別にしたいとも思わない。
誰かを助けるだけでいいじゃん。
ヒーローって
そういうことじゃないの?
って思います。
まとめ
ヒーローについて書いてみました。
抽象的な話題って難しいですね・・・。
でもこういったことを考えるのは結構楽しいものです。