「個性」。
「僕のヒーローアカデミア」という作品では、超常現象に伴って人体に発現した特殊能力として描かれている。
現実での「個性」よりも
より可視化された、つまりより人に見えやすく、分かりやすく、判断しやすいものになっている。
漫画の中のこの一つの要素。
私は、これが何かほかに通ずるものがあるものではないのかと感じた次第。
個性が無個性的なものではないのかと、私は疑問に思うようになってきた。
※僕のヒーローアカデミアを嫌いなわけではありません。
※私は僕のヒーローアカデミア
大好きです・・・!
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目次
なぜ個性が生まれたのか
作中では個性が生まれた原因は明らかにはなっていない。
(まぁこれに関してはあまり知る必要は無いと思うが・・・。)
ここでは個性が当たり前になるまでの過程を考えていきたいと思う。
少なくとも、「僕のヒーローアカデミア」では8割以上の人々が「個性」を持っている。それは主人公が中学3年の時。
しかし「個性」の出現によって、人類の科学技術が進化を止めてしまったと、エライ・ヒトは言及しています。
時代背景としては、我々が暮らしている時代よりも大分先のお話であることが伺えます。
そして現代(僕のヒーローアカデミアの中で)に至るまで、
- 個性を持つ人々への迫害、敵意識の発生、
- 個性を持つ人々と個性を持たない人々たちとの間で争いの勃発や、
- 個性を濫用した犯罪
など、確かに漫画では描かれています。
個性の出現は・・・
世界中の人々が個性を発現し始めた現象はあるものに似ています。
第一に
就職活動
第二に
グローバル化
第三に
ご当地キャラ
この3つです・・・。
就職活動
ここでの「就職活動」は単なる、仕事を得るための諸所の活動ではありません。
注目したいのは「就職活動」の性質です。
就職活動(以下就活)は、
いわば個性を相手に見せつける活動。
働くことになる会社側が得たいのは、利益獲得に役に立つ有用な存在。部下として、働く仲間として気の置けない者を見つけること。
応募者は、徹底的に選ぶ立場にさらされ、ほぼ強制的に「個性」を持つことを求められる。
そうしなければ、他の応募者たちに埋もれてしまうからね。
僕のヒーローアカデミアの「個性」は、確かになにかしらの原因があるにせよ、
まるで他の人々が「個性」を持つようになったから「個性」を持ち始めたという風に考えることもできる。
そして個性を持たない人は、個性を持つ人よりなぜか見下される。
それはまるで、就職試験に落ちる人みたいだ。
グローバル化

stokpic / Pixabay
まずwikipdiaからの引用を見てみよう。
グローバリゼーションとは、社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす現象である。グローバライゼーション、グローバル化、世界化、地球規模化などとも呼ばれる。
グローバル化は、世界化、地球規模化のような総体としての動きに注目されがちだ。
しかし
注目しなければいけない点は他にある。
それはグローバル化に伴って発生する、別の現象だ。
それは
ローカライゼーション(ローカル化)である。
グローバル化はこのローカル化と表裏一体の関係にあると言ってよい。
グローバル化は、それぞれの諸地域の伝統よりも地球全体として画一的な動きを重視しているが、それぞれ国、地域、町に住む人達は自らの文化が無視されるなどという事態には簡単には賛成しない。
皆が個性を個性を持ち始めるというグローバル化によって
個々人が個性を持たなければいけない、持っていない方がオカシイというローカル化が進展する。
主人公がその最たる例だ。生まれたときにはすでに世界中の多くの人が個性を持っている。
でも自分は・・・。
主人公はヒーローになるために、そのローカル化についていかなければならない。つくづく辛い主人公だ。
なんだかブラッククローバーのアスタにも似ているような・・・。
ご当地キャラ

JordyMeow / Pixabay
参考
真正性
芸術における真正性とは、芸術作品や芸術的パフォーマンスが本物と見なされるさまざまな方法のことです。
これも上に挙げた2つの例と似ている。
ご当地キャラを批判しているわけではありません。メロンぐまかわいいですもの。
さて
そもそもご当地キャラって、最初から存在したものなのでしょうか?
このご当地キャラは、他の都道府県に影響されて、生まれたものではとも考えることができる。
ご当地キャラ並びにその地域特有の性質を見出そうとするのは、そうする必要があったからだ。
そうする必要とは、つまり観光客に訪れてもらうためにのものだ。
訪れてもらう為に、オリジナリティ、特殊な性質、特徴をわざわざ見出す。他の地域もそのような行動を起こし始めた故に、このような傾向はどんどん加速する。
僕のヒーローアカデミアで言えば、
個性を持つことが当たり前と考えられる、これがご当地キャラの誕生でしょう。
これはグローバル化に伴うローカル化にも似ています。
個性という無個性
確かに多くの人々が様々な「個性」を持っている。
しかし根本にあるのは、
個性を持たなければならないという
一つの、無個性的な動き。
そういった無個性的な動きから発生した動きが、個性を生み出している。
はたして彼らは、個性を持っているといえるのか。
能力としての「個性」でも、それは個性的と言えるのだろうか。
と不思議の思ったのである。
あなたは
彼らは、「個性的」ということが出来ると思いますか???